豆谷さんの略歴と追悼会のご案内

設立趣意書



「豆谷和之さん追悼事業会」設立趣意書

謹啓 盛夏の候、皆様におかれましては、益々ご清祥のことと慶び申し上げます。
 さて、昨年末、我らの友人、豆谷和之さんが惜しくも逝去されてから、早くも8ヶ月が過ぎようとしています。年末の厳しい寒さの中、豆谷さんの突然の訃報に、多くの知人や友人が遠近を問わず、通夜や葬儀にかけつけ、残されたご家族と悲しみをともにしたことを今も忘れることができません。そうした知人・友人の中から、豆谷さんを追悼するとともに、残されたご家族をささやかではあるが支援しようとの声があがり、関係者が協議を重ね、このたび、「豆谷和之さん追悼事業会」を設立する運びとなりました。
 豆谷さんは、昭和41年12月29日、三重県伊勢市で生まれました。宇治山田高校の在学中から考古学の研究を志し、奈良大学文化財学科に進んで、考古学を専門とする道を歩みました。奈良大学在学中は、大学のゼミで、あるいは調査補助員として参加した唐古・鍵遺跡の発掘調査現場で、多くの友人や仲間と切磋琢磨しながら、日々、弥生土器、弥生文化の研究に勤しみました。
 その後、卒業論文のテーマとした前期弥生土器の研究をさらに進めるため、山口大学大学院に進学し、自らの研鑽ばかりでなく多くの後輩を育て、各地に赴いては資料を観察して、全国の研究者と交流を深め、研究の幅を広げてゆきました。山口大学埋蔵文化財資料館に助手として奉職後は、構内遺跡の発掘調査・研究に従事し、考古学に対する熱い想いを体現することで後輩達を覚醒させ、同時に暖かく指導し、育てました。さらには、山口県内を中心とした研究会に積極的に参加するとともに、全国的な弥生土器の研究会、京都で学生を中心に開催されていた京都弥生文化談話会、奈良で発足した大和弥生文化の会などの集まりにも距離を厭わず足繁く通い、精力的に論文等を専門誌に寄稿するなどして頭角をあらわし、弥生時代研究の若手研究者として注目を集めるようになりました。
 平成8年、縁あって、奈良県田原本町文化財保存課の専門職員に転職し、同町内の遺跡調査に従事するようになった豆谷さんは、多数の絵画土器が出土した清水風遺跡、弥生時代の大規模環濠集落として著名な唐古・鍵遺跡など、数々の発掘調査に尽力しました。とくに、大型建物が確認された唐古・鍵遺跡の第74次調査、第94次調査など、豆谷さんが担当した発掘調査には弥生時代研究のうえで極めて重要な成果が得られています。
 毎日、早朝から夜遅くまで田原本町内の文化財の保存と調査研究に心血を注いだ豆谷さんの粉骨砕身の成果は、平成21年に刊行された発掘調査報告書『唐古・鍵遺跡T』の報告文に刻み込まれています。豆谷さんは、13年に及ぶ文化財保存課在職の間も、公務の合間を縫って、学生時代から続けてきた弥生土器研究を怠ることなく、大和弥生文化の会による『奈良県弥生土器集成』をはじめ、研究成果を次々に論文にまとめてゆきました。
 そして、平成19年には、大学院修了後から交際を続けていた典子夫人と結婚し、21年には長男の櫂君が誕生しました。
 平成21年、総合政策課へ異動した豆谷さんは、唐古・鍵遺跡の史跡整備事業の担当となり、文化財の保存と活用に関わる業務に悪戦苦闘することとなります。史跡整備事業の困難さなど、その間の苦労話は、多くの友人が耳にするところでした。
 一方、休日返上で発掘調査の現場に立っていたそれまでの生活とは大きく環境が変化した豆谷さんは、家族とともに宇陀市に転居し、地域の人々に暖かく迎えられ、櫂君の成長を見守りながら、畑仕事やマラソンなど、考古学以外の方面にもその精力を傾けるようになります。とくに、22年に始まった奈良マラソンでは、連日の早朝練習が実り、フルマラソンを見事に完走し、沿道から応援する友人たちの喝さいを浴びました。
 休日には、各地の研究会に参加したり、遺跡見学に出かけたり、研究面でも、近畿弥生の会の代表を務め、近畿地方を代表する弥生時代研究者の一人として名前をとどろかせるようになった豆谷さんに、周囲は学問的な活躍を益々期待していたところでした。
 しかし、残念ながら、平成25年12月10日が命日となってしまいました。47回目の誕生日が目前でした。
 このような豆谷さんを追悼する事業として、次に記します5つの内容を計画しています。

   1.偲ぶ会
   2.著作集・追悼文集
   3.追悼論集
   4.遺品整理(遺物・実測図)
   5.豆谷櫂君育英募金

 とくに、著作集・追悼文集は、来年の刊行に向けて、作成を進めるものですが、研究者としての豆谷さんの業績を伝えるとともに、多くの人の脳裏に鮮烈な記憶を残す豆谷さんの足跡を記録し、長男の櫂君が成人した際に、父親の人となりがわかるような内容になることを願っています。
 それぞれの事業については、改めて、ご案内いたします。皆様には本事業会の趣旨をご理解、ご賛同いただき、各事業について、是非、お力添えをいただけますよう、謹んでお願い申し上げます。
                                         謹白

                                    平成26年8月3日
                                    発起人一同




お知らせ




略歴

●1966年12月29日、三重県伊勢市で生まれる。
●1985年4月、宇治山田高校を卒業後、奈良大学文化財学科に入学。
●5月、唐古・鍵遺跡第21次調査に参加
※古墳を掘りたいという希望とは裏腹に、「先輩に騙されて」弥生集落遺跡での発掘アルバイトを開始。
●1987年、昼は発掘、夜は整理の日々。
※この頃、田原本へ引っ越し、奈良大学に通学。
●1989年4月、山口大学大学院へ(1991年3月まで)。
●1991年2月、大学院修了後、再び田原本へ。唐古の調査に参加。
●1991年10〜12月、唐古・鍵遺跡第47次調査に参加。  ※調査後の2月、整理作業で楼閣土器を確認。また、当時、奈良大1回生だった夫人と出会う。
●1992年4月、楼閣土器発見の報道を待たず、山口大学埋蔵文化財資料館に勤務。
●1996年夏、唐古・鍵遺跡範囲確認調査開始に合わせ、山 口大学から田原本町文化財保存課に転職。
●1996年7〜10月、清水風遺跡2次調査。
※絵画土器、方形周溝墓・建物跡、前漢鏡等出土。
●1999年7〜12月、唐古・鍵遺跡第74次調査で大型建物を検出。
※朝日新聞「ひと」欄に掲載される。
●2003年5〜12月、唐古・鍵遺跡第93次調査で 再び、大型建物を検出。
※休日も現夫人と現場で実測。大型柱と夫人を並べて写した写真は豆谷氏のお気に入りだった。
●2005年度、唐古・鍵遺跡範囲確認調査報告書作成開始。
●2007年3月、無事?結婚。
※結婚を祝う会開催(近畿弥生の会)。
●2009年3月、唐古・鍵遺跡範囲確認調査報告書『唐古・鍵遺跡T』完成。
●2009年4月、総合政策課へ異動。史跡唐古・鍵遺跡の公園整備を担当。
※この年の9月22日、長男、櫂君誕生。
●2010年12月5日、第1回奈良マラソンに参加。
※以後、毎年参加し完走する。
●2013年12月、逝去。


☆粗い略歴ですが、調査履歴を中心に掲載しました。もっと詳しいエピソードなどを追悼集にお寄せください。彼の人となりを文字の世界で繰り広げましょう。(編集子)